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秋季例大祭 例祭斎行 お渡りの神事 

2024年9月15日
お渡りの神事、応神陵へと神幸している様子です。

秋季例祭 午前10時 斎行

例祭にいたり、神職、総代の人たちが拝殿へ参進している様子。

秋季例大祭
秋のお祭りが当宮では、最も盛大に執り行われます。午前10時に例祭が行われ、午後8時頃からは、当宮でおまつりしている神様に一旦神輿にお移りいただいて、ご陵である応神天皇陵の中まで神幸する、お渡りの神事を行っています。

※神幸とは、祭事や遷宮などのとき、神体がその鎮座する神社から他所へ赴くことをいいます。

お渡りの神事 午後8時より 斎行

渡御の神事の前のお神輿です。飾り付けがなされ神輿の前には、三つ巴紋と橘の紋があしらわれた縦が設置されています。

お渡りの神事
 お渡りの神事は、元は放生会という神事でどちらかといえば、仏式の性格の強いお祭りでした、遡ると西暦1200年台に源頼朝 公ご寄進によるお神輿、国宝 塵地螺鈿金銅装神輿ちりじらでんこんどうそうしんよ を担いで行われていたようです。
※現在は、新しいお神輿をつかってお渡りの神事を行っています。
放生会は、当時戦で相手方の命を殺めてしまった贖罪しょくざいとして行われていたそうで、生き物を放つおまつりでもありました。現在も、当宮境内には、放生池という池が存在しており、おそらくこの池から魚を掬ってご陵のお堀に放流していたのではないかと考えられます。

当時は、神職と僧侶の方が一緒になっておまつりを執りおこなわれていました。悲しいことに、明治の廃仏毀釈によって、お寺が取り壊しになってしまい現在は神社だけになってしまいましたが、お渡りの神事として、日々のご神徳への感謝や氏子・崇敬者の皆様のご加護・五穀豊穣を願いおまつりを続けています。

神輿の下をおくぐりしている様子です。

神輿潜り所
お渡りの道中、お神輿の下をくぐっていただける場所がございます。思い出にご無病息災や加護をご祈念いただき、神様の真下をくぐっていただくことができます。

放生会の歴史

誉田八幡宮の放生会について確認できる記録としては、1801年発行の河内名所図会(【著】秋里籬島【画】丹羽桃渓)が存在します。その中に放生会の解説が掲載されています。

放生会の解説が書かれている部分です。

青枠の部分が放生会について解説しています。


放生会
例年、八月八日※1より神式始まり、十四日寅の上刻(午前3時頃)に、神輿を奥院へ神幸 しんこう し、近邑本居 きんゆううぶすな の人々、ともしび を捧げ奉る事、星のむらが るが如し。翌十五日午刻(お昼の12時頃)、本社に還御し奉る。
神供かず々にして、神秘の祭式、社人は守護し、神子は神楽 かぐら を奏す。むかしは舞楽ありしが、寛文(1661~1673まで)の頃より中絶に及ぶ。
と記載されています。

※1昔は、月の満ち欠けで1か月を定める暦である太陰暦が採用されていました。一番明るく、そして霊力が高まるとされる満月に合わせて行われていました。

放生橋

かつては、お神輿を担いで当宮にある放生橋を渡って御陵へと向かっていたのですが、現在は残念ながら、経年劣化により橋の柱にひびが入っており、崩落の危険があるため、横の橋からお渡りしています。

放生橋を側面から見た様子です。ほぼ半球状の傾斜になっています。

実際に、お渡りするときは橋に木の足場を取り付けて、階段のようにして渡っていました。

かつての人々の想いの籠った神事
古来より受け継がれた、天皇陵の中で執り行われる祭祀である誉田八幡宮お渡りの神事。ご縁ある皆様のご参拝お待ちしております。