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起工式 斎行-令和6年1月16日

工事を執り行う前に行うお祭
1月16日 工事を執り行うにあたり、神様にご報告をするお祭り、起工式を執り行いました。
工事を執り行う「金剛組」関係者の皆様にもご参列いただき、工事の安全・成功を願って、お祭りいたしました。

金剛組は、世界最古の企業
金剛組は、天王寺区にあり、なんと世界で一番古い企業といわれています。578年に聖徳太子が四天王寺を建立するために、招聘(しょうへい – 人を丁寧な態度で招くこと)した百済(くだら)人である金剛重光 氏が設立したとされています。

誉田八幡宮と金剛組のご縁
ちなみに、聖徳太子は、当宮の宝物である「誉田宗廟縁起」によると応神天皇陵にご参籠されたということが記らせています。
また当宮の国宝である「金銅製透彫鞍金具」は、当時半島の方からもたらされたものとされています。当時は、百済の人々との交流がさかんであったこともあり、ひょっとしたら鞍金具も百済から来たものかもしれません。
そんな過去に聖徳太子や百済とゆかりのある「金剛組」に修復工事をお願いしたことに、不思議なご縁を感じました。

瓦の装飾部分の確認

瓦の見本が並んでいます。見本は、アイボリー色をしています。

クリックすると、拡大してご覧いただけます。

新しい瓦の装飾部分を作成するための型を確認いたしました。模様が間違っていないか、問題がないかを確認するようです。
型は、とてもきれいに作成されており、瓦の仕上がりがすごく楽しみになりました。

 

当宮拝殿の特徴

誉田八幡宮 拝殿の全景が映されています。

構造
割拝殿
(わりはいでん)横長の平面の中央に土間をとって通路としたもので、左右の間取りが同じようになっている。
延床面積 195.25㎡・59.06坪(向拝含む・大阪府下最大規模)
※向拝とは、屋根正面中央の張り出したひさし状の部分のことをいいます(参照画像白丸の部分)

建築年代
江戸時代
 古くから豊臣秀頼によって再建が行われ、大坂夏の陣に豊臣家が敗れたため、その後、徳川家によって完成されたと伝わっているが、現在のところ、正確な年代は不明でもう少し新しい時代に建てられた可能性もある。

河内名所図会(1801年)に現在の拝殿が描かれています。

司馬温公の瓶割 子供時代の温公が大切な瓶の中に閉じ込められた友人を助け出している様子。物よりも人の命の方が大切であるといったお話。

当宮の拝殿の特徴は、八幡さまとしておまつりしているため、柱が粽(ちまき)型柱であるなど神仏習合の性格の強い様式となっている。正面には、火の鳥や芝温公の瓶割(しばおんこうのかめわり)などの彫刻があしらわれている。
また、拝殿の室内の天井が張られておらず、見上げると梁(はり)を直に見ることができる。

粽型の柱 柱の上部が丸くなっている、お寺でよく見ることができるデザイン。神仏習合の性格の強い当社ならでは。

天井が張られていない。

蛇腹天井 蛇のお腹の様になっているためそのように呼ばれている。